私(与ろゐ屋店主)は、浅草生まれの浅草育ち。幼いころは両親が商売をしていた関係で昼食はほとんどが外食でした。特に店の近所にあった「長生庵」という日本そば屋さんにはよく両親と行っていましたが、お気に入りは日本そばではなく「中華そば」。和風だしと中華スープの混合?(今のダブルスープ?)で、この味がわたしにとっては思い出の味なのです。長生庵はその後ご家族の都合でしばらくして閉店してしまいました。
そんならーめん好きの私は、学生時代になるとらーめんの食べ歩きがはじまりました。当時、札幌味噌らーめんがブームになり、喜多方らーめん・九州豚骨らーめんなど、東京でも日本各地のらーめんがたべられるようになったのですが、やはり私の食べたいのは幼い頃に食べたあのらーめんでした。
そして、料理好きの私は中華料理店でアルバイトに専念して、学校を卒業する頃には、それなりに鍋も振れるようにまでなっていました。一度はサラリーマンを経験したのですが、30歳を過ぎてからどうしても自分が食べたいらーめんを作りたいという思いで学生時代にお世話になった店の門をたたき麺作りやスープ作りに特化して教えて頂き今から30年前に最初のらーめん店を開業しました。
その後、何軒かのらーめん店を開業した後に、生まれ育った浅草であのらーめんを自分なりに再現したいと1992年与ろゐ屋をオープンしたのです。
醤油らーめんの発祥は、1910年浅草の“来々軒”といわれています。しかしそのお店は戦時中に閉店してしまい今はありません。私はこの発祥の地・浅草で自分が大好きならーめんを作り皆さんにあじわって戴きたいと毎日精進しています。
現在、世界中の方々にお馴染みになったらーめんの原点は中国ですが、今ではもう日本食を代表するひとつです。そんな思いで当店では “ラーメン”ではなく“らーめん”と表記しています。時折、年配のお客さま方に「なつかしい味がするね」「昔の中華そばを思い出したよ」と言われると何となくうれしくなってしまいます。最近では、色々なアイデアのらーめんも多くなり、又、時代によってらーめんの味も変わっていきますが、私はこのらーめんを変えることなく作り続けていきたいと思っています。
浅草にお越しの際にはらーめん発祥の地で、私の思いを込めた醤油らーめんを是非一度ご賞味ください。
与ろゐ屋 店主拝